フェルメール 光の王国 福岡伸一著(2011)を読んで
フェルメール 光の王国 福岡伸一著 木楽舎(2011)を読んで
本屋を徘徊していて目に留まったので購入しました。フェルメールの絵画を巡る紀行文で、ANAの機内誌「翼の王国」に掲載されたものを一冊の本にまとめたものです。個人企画(ではないしょう?)ではこれほどの取材は困難と思われ、各美術館学芸員と著者との対談を興味深く傍で聞いているような感じになります。絵が美術館へ来た由来や絵の修復への考え方、所蔵している絵への愛着が語られています。写真の質も高く、額縁つきで、掛けられている壁まで見えることで、まるで美術館でみているかのように工夫されています。なぜかディテールが曖昧な絵(の写真)があるのが不思議なのですが(ガラスのカバーがあるためでしょうか?)、「真珠の首飾り」「絵画芸術」「天文学者」などでは部分の拡大写真があり、うれしいことに油絵の質感までも感じとれます。街の佇まい、美術館の外観や建物内部の雰囲気までも美しく映し出されているのも楽しいものです。
本書には欠点もあります。時々、訪れた街に住んでいた科学者が登場します。紀行文ですから時代や分野は前後しても問題はなく、その街を訪れて一寸寄り道をするのもよいでしょう。しかし、科学とフェルメールとの関係を強調しすぎています。顕微鏡の父レーウェンフックのスケッチについても、当時のネーデルランド・デルフトには多数の職業画家がおり売れる絵画を量産しようとしていたでしょうから、スペキュレーションの域を出ない二人の関係の上に更に仮説を積み上げる手法は感心しません(ちなみに著者が主張する顕微鏡画の陰影がフェルメール的であるとするものは、なんの根拠もありません。シングルレンズの顕微鏡ではどのように見えるかわかりませんが、倍率を上げると非常に暗くなり薄い切片しか見れず、その上焦点深度が浅く視野も狭いとなると、陰影をつけて描くことは不可能でしょうね。それよりも当時(17世紀末からう18世紀初頭)光学で300倍近くの倍率を達成していたことは驚きです。現在でも300倍の倍率ではドイツ製の高性能顕微鏡でないと視野は暗いですね)。またコラムをまとめたものなので、重複が多く読み飛ばしたくなります。
しかしそれはともかくとして、個人では全く不可能と思われるフェルメールの絵画を巡る旅は、絵のある街の佇まいや歴史、美術館の雰囲気、絵画ある場所、などを十分に感じさせてくれます。画家への言及は少ないのですが、フェルメールの手から離れた絵画が300年という時間を経てたどっている数奇な運命も絵の魅力の一つでしょう。日本では少女(あるいは女性)の肖像が人気なのでしょうね。
本屋を徘徊していて目に留まったので購入しました。フェルメールの絵画を巡る紀行文で、ANAの機内誌「翼の王国」に掲載されたものを一冊の本にまとめたものです。個人企画(ではないしょう?)ではこれほどの取材は困難と思われ、各美術館学芸員と著者との対談を興味深く傍で聞いているような感じになります。絵が美術館へ来た由来や絵の修復への考え方、所蔵している絵への愛着が語られています。写真の質も高く、額縁つきで、掛けられている壁まで見えることで、まるで美術館でみているかのように工夫されています。なぜかディテールが曖昧な絵(の写真)があるのが不思議なのですが(ガラスのカバーがあるためでしょうか?)、「真珠の首飾り」「絵画芸術」「天文学者」などでは部分の拡大写真があり、うれしいことに油絵の質感までも感じとれます。街の佇まい、美術館の外観や建物内部の雰囲気までも美しく映し出されているのも楽しいものです。
本書には欠点もあります。時々、訪れた街に住んでいた科学者が登場します。紀行文ですから時代や分野は前後しても問題はなく、その街を訪れて一寸寄り道をするのもよいでしょう。しかし、科学とフェルメールとの関係を強調しすぎています。顕微鏡の父レーウェンフックのスケッチについても、当時のネーデルランド・デルフトには多数の職業画家がおり売れる絵画を量産しようとしていたでしょうから、スペキュレーションの域を出ない二人の関係の上に更に仮説を積み上げる手法は感心しません(ちなみに著者が主張する顕微鏡画の陰影がフェルメール的であるとするものは、なんの根拠もありません。シングルレンズの顕微鏡ではどのように見えるかわかりませんが、倍率を上げると非常に暗くなり薄い切片しか見れず、その上焦点深度が浅く視野も狭いとなると、陰影をつけて描くことは不可能でしょうね。それよりも当時(17世紀末からう18世紀初頭)光学で300倍近くの倍率を達成していたことは驚きです。現在でも300倍の倍率ではドイツ製の高性能顕微鏡でないと視野は暗いですね)。またコラムをまとめたものなので、重複が多く読み飛ばしたくなります。
しかしそれはともかくとして、個人では全く不可能と思われるフェルメールの絵画を巡る旅は、絵のある街の佇まいや歴史、美術館の雰囲気、絵画ある場所、などを十分に感じさせてくれます。画家への言及は少ないのですが、フェルメールの手から離れた絵画が300年という時間を経てたどっている数奇な運命も絵の魅力の一つでしょう。日本では少女(あるいは女性)の肖像が人気なのでしょうね。
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