今すぐ使えるかんたん ホームページ HTML&CSS を使ってみて
今すぐ使えるかんたん ホームページ HTML&CSS 技術評論社編 (2010) を使ってみて
2年ほど前にホームページ作成を依頼した際、全くのお任せは嫌なので自分でもホームページを作ろうと思い、本書を手にしました。本書の内容は簡単で、図やテンプレートの素材を借りてくることで、それなりのホームページの自作が本書で可能でした。何よりの長所は、ホームページの仕組みがよくわかったことです(HTML文書の記載方法、スタイルシートでの制御、FTPでのアップロードなど基本要素だけです。Java scriptなどは素人が片手間で手を出しても労が多そうで止めました)。読んでもらえるホームページの作成となると話は別の次元です。
さて、今回ホームページをリニューアルする必要があったため、久し振りにホームページを本書で勉強し直しました。以前に覚えたはずのことをほぼ完全に忘れており愕然としました。普段はほとんど使わないホームページ作成の知識など覚えてもすぐ忘却してしまい、役立たないと思いつつものめり込んでしまいました。が、徒労の感があるのでほどほどで止めにすることとしましょう。
ブログにせよ、ホームページにせよ継続こそが大事と思い直し、久し振りにブログを更新します。
2年ほど前にホームページ作成を依頼した際、全くのお任せは嫌なので自分でもホームページを作ろうと思い、本書を手にしました。本書の内容は簡単で、図やテンプレートの素材を借りてくることで、それなりのホームページの自作が本書で可能でした。何よりの長所は、ホームページの仕組みがよくわかったことです(HTML文書の記載方法、スタイルシートでの制御、FTPでのアップロードなど基本要素だけです。Java scriptなどは素人が片手間で手を出しても労が多そうで止めました)。読んでもらえるホームページの作成となると話は別の次元です。
さて、今回ホームページをリニューアルする必要があったため、久し振りにホームページを本書で勉強し直しました。以前に覚えたはずのことをほぼ完全に忘れており愕然としました。普段はほとんど使わないホームページ作成の知識など覚えてもすぐ忘却してしまい、役立たないと思いつつものめり込んでしまいました。が、徒労の感があるのでほどほどで止めにすることとしましょう。
ブログにせよ、ホームページにせよ継続こそが大事と思い直し、久し振りにブログを更新します。
思想地図 beta 1 ショッピングモーライゼーション を読んで
思想地図 beta 1 第一部 ショッピングモーライゼーションcontectures(2011) を読んで
この本の前半1/3は、ショッピングモール(隣接する主題であるテーマパーク化、都市の再開発、自動車普及(モータリゼーション)などを含め)を特集として取り上げています。現代の消費社会・ネット社会によるスピード化、グローバル化、歴史性の断片化、サプリメント化などによって促進された都市・田舎・郊外風景の変化(および変化せぬもの)、そして其処に暮らす人間の変化、を主題としており、ショッピングモーライゼーションと名付けられるこの変化の歴史、意味、問題点などを意識化させてくれます。ショッピングモールには排除の問題を含んでいる、というような視点も斬新です(秋葉原はその趣味に合わない人を遠ざけ、郊外アウトレットは車を持たない人を排除する、など)。
いずれの討論も論文も興味深く読めました。最も面白かったのは宇野常寛氏の郊外文学論です。現代作家および漫画家は空間的な郊外をモチーフにすることにより、場所‐人‐時間の無名化、断片化、すなわち砂漠化(全国どこへ行っても同じ商品、同じ建物であることなど)へアプローチしているとして、新しい現代作家を3つに分類したその手法は鮮やかです(単なる物語回帰は、長い射程を持たないとされます。昭和への回帰、86への回帰など、最近の話題を考えてしまいます)。さらには郊外化のもつ砂漠化、断片化、画一化、に想像力の新生をみる作品群をあげ、新たな可能性としている点も面白いと思いました。そういえばTVでは雑談が増え、アニメは脈絡のない設定・挿入、ストーリー性のなさ、が目立つのも最近の特徴なのでしょう。
編集長の東浩紀氏は、ショッピングモーライゼーションに代表される断片化、画一化、排除の機制、歴史性の喪失に可能性を見ようとしているようです。私も平等性という観点からは無限の可能性を秘めているように思います。しかし人間の本質はエントロピーの拡大に対抗する組織化であることに違いないので、どの程度までこのスピード化、断片化、画一化、歴史性の喪失に人間が耐えられるのか、新たな課題に直面しているようにも思います。
この本の前半1/3は、ショッピングモール(隣接する主題であるテーマパーク化、都市の再開発、自動車普及(モータリゼーション)などを含め)を特集として取り上げています。現代の消費社会・ネット社会によるスピード化、グローバル化、歴史性の断片化、サプリメント化などによって促進された都市・田舎・郊外風景の変化(および変化せぬもの)、そして其処に暮らす人間の変化、を主題としており、ショッピングモーライゼーションと名付けられるこの変化の歴史、意味、問題点などを意識化させてくれます。ショッピングモールには排除の問題を含んでいる、というような視点も斬新です(秋葉原はその趣味に合わない人を遠ざけ、郊外アウトレットは車を持たない人を排除する、など)。
いずれの討論も論文も興味深く読めました。最も面白かったのは宇野常寛氏の郊外文学論です。現代作家および漫画家は空間的な郊外をモチーフにすることにより、場所‐人‐時間の無名化、断片化、すなわち砂漠化(全国どこへ行っても同じ商品、同じ建物であることなど)へアプローチしているとして、新しい現代作家を3つに分類したその手法は鮮やかです(単なる物語回帰は、長い射程を持たないとされます。昭和への回帰、86への回帰など、最近の話題を考えてしまいます)。さらには郊外化のもつ砂漠化、断片化、画一化、に想像力の新生をみる作品群をあげ、新たな可能性としている点も面白いと思いました。そういえばTVでは雑談が増え、アニメは脈絡のない設定・挿入、ストーリー性のなさ、が目立つのも最近の特徴なのでしょう。
編集長の東浩紀氏は、ショッピングモーライゼーションに代表される断片化、画一化、排除の機制、歴史性の喪失に可能性を見ようとしているようです。私も平等性という観点からは無限の可能性を秘めているように思います。しかし人間の本質はエントロピーの拡大に対抗する組織化であることに違いないので、どの程度までこのスピード化、断片化、画一化、歴史性の喪失に人間が耐えられるのか、新たな課題に直面しているようにも思います。
イスラームから見た「世界史」(2011) を読んで
イスラームから見た「世界史」 タミム・アンサーリー著、小沢千恵子=訳 紀伊國屋書店(2011)を読んで
この本は面白い以上のものがあります。そもそも私はイスラムの人々に実際に会ったこともなく、テレビで放映されるマッカへの向いた礼拝やラマダン(断食)を奇妙な宗教的な風習であると思う程度の知識しか持ち合わせていませんでした。根本的な事柄、たとえばペルシアとイスラムの違い、スンナ派とシーア派の違い、ウマイヤ朝やアッバース朝などの王朝のこと(近年の王朝の多さも理解しがたいことです)、オスマントルコが突然世界史に出てきた経緯、十字軍のこと、イランとイラクの違い、サウジアラビアの王族、イスラエルとパレスチナ、ソ連のアフガニスタン侵攻、パキスタンとインドの関係、さらには最近ではイラン革命、湾岸戦争、サダム・フセインのこと、タリバンのこと、アラブの春と呼ばれる去年のアラブ革命、についてもよくわからない点が多かったのですが、この本を読めば全て分かったような気になります。
本書は、ムハンマドの誕生前の世界から始まり、ムハンマドが誕生し預言者となったこと、マッカから移ったマディーナでウンマ(イスラムの共同体)-すなわちイスラム世界が形成されていく端緒、が詳しく物語られています。ついでウマイヤ朝からアッバース朝時代の記載があり、ここでのカリフ継承問題が後日のスンナ派とシーア派へと分かれていったことが物語られます。
この辺りまでは物語的な要素が多いのでしょうが、次の時代からは歴史です。アッバース朝の黄金時代(西洋では中世、暗黒時代)における哲学と宗教の関係、オスマントルコの誕生の経緯、十字軍のこと、大航海時代の訪れとともにイスラムの世界が乱れはじめたこと(あるいはイスラム内部からの瓦解)、産業革命や内燃機関の発明による石油価値の高騰からイスラムの世界が西洋社会に懐柔されている姿、などが切々と記述されています。
イスラムの人々が現在において苦悩している問題が手に取るように分かる本です。650ページとやや長いですが、一気に読み進められる未知の世界があります(今なお部族単位の社会であることがイスラム世界を端的に表しているように思います。インターネットなどの情報社会はイスラム世界も変える力があるのでしょうか?)。
この本は面白い以上のものがあります。そもそも私はイスラムの人々に実際に会ったこともなく、テレビで放映されるマッカへの向いた礼拝やラマダン(断食)を奇妙な宗教的な風習であると思う程度の知識しか持ち合わせていませんでした。根本的な事柄、たとえばペルシアとイスラムの違い、スンナ派とシーア派の違い、ウマイヤ朝やアッバース朝などの王朝のこと(近年の王朝の多さも理解しがたいことです)、オスマントルコが突然世界史に出てきた経緯、十字軍のこと、イランとイラクの違い、サウジアラビアの王族、イスラエルとパレスチナ、ソ連のアフガニスタン侵攻、パキスタンとインドの関係、さらには最近ではイラン革命、湾岸戦争、サダム・フセインのこと、タリバンのこと、アラブの春と呼ばれる去年のアラブ革命、についてもよくわからない点が多かったのですが、この本を読めば全て分かったような気になります。
本書は、ムハンマドの誕生前の世界から始まり、ムハンマドが誕生し預言者となったこと、マッカから移ったマディーナでウンマ(イスラムの共同体)-すなわちイスラム世界が形成されていく端緒、が詳しく物語られています。ついでウマイヤ朝からアッバース朝時代の記載があり、ここでのカリフ継承問題が後日のスンナ派とシーア派へと分かれていったことが物語られます。
この辺りまでは物語的な要素が多いのでしょうが、次の時代からは歴史です。アッバース朝の黄金時代(西洋では中世、暗黒時代)における哲学と宗教の関係、オスマントルコの誕生の経緯、十字軍のこと、大航海時代の訪れとともにイスラムの世界が乱れはじめたこと(あるいはイスラム内部からの瓦解)、産業革命や内燃機関の発明による石油価値の高騰からイスラムの世界が西洋社会に懐柔されている姿、などが切々と記述されています。
イスラムの人々が現在において苦悩している問題が手に取るように分かる本です。650ページとやや長いですが、一気に読み進められる未知の世界があります(今なお部族単位の社会であることがイスラム世界を端的に表しているように思います。インターネットなどの情報社会はイスラム世界も変える力があるのでしょうか?)。
フェルメール 光の王国 福岡伸一著(2011)を読んで
フェルメール 光の王国 福岡伸一著 木楽舎(2011)を読んで
本屋を徘徊していて目に留まったので購入しました。フェルメールの絵画を巡る紀行文で、ANAの機内誌「翼の王国」に掲載されたものを一冊の本にまとめたものです。個人企画(ではないしょう?)ではこれほどの取材は困難と思われ、各美術館学芸員と著者との対談を興味深く傍で聞いているような感じになります。絵が美術館へ来た由来や絵の修復への考え方、所蔵している絵への愛着が語られています。写真の質も高く、額縁つきで、掛けられている壁まで見えることで、まるで美術館でみているかのように工夫されています。なぜかディテールが曖昧な絵(の写真)があるのが不思議なのですが(ガラスのカバーがあるためでしょうか?)、「真珠の首飾り」「絵画芸術」「天文学者」などでは部分の拡大写真があり、うれしいことに油絵の質感までも感じとれます。街の佇まい、美術館の外観や建物内部の雰囲気までも美しく映し出されているのも楽しいものです。
本書には欠点もあります。時々、訪れた街に住んでいた科学者が登場します。紀行文ですから時代や分野は前後しても問題はなく、その街を訪れて一寸寄り道をするのもよいでしょう。しかし、科学とフェルメールとの関係を強調しすぎています。顕微鏡の父レーウェンフックのスケッチについても、当時のネーデルランド・デルフトには多数の職業画家がおり売れる絵画を量産しようとしていたでしょうから、スペキュレーションの域を出ない二人の関係の上に更に仮説を積み上げる手法は感心しません(ちなみに著者が主張する顕微鏡画の陰影がフェルメール的であるとするものは、なんの根拠もありません。シングルレンズの顕微鏡ではどのように見えるかわかりませんが、倍率を上げると非常に暗くなり薄い切片しか見れず、その上焦点深度が浅く視野も狭いとなると、陰影をつけて描くことは不可能でしょうね。それよりも当時(17世紀末からう18世紀初頭)光学で300倍近くの倍率を達成していたことは驚きです。現在でも300倍の倍率ではドイツ製の高性能顕微鏡でないと視野は暗いですね)。またコラムをまとめたものなので、重複が多く読み飛ばしたくなります。
しかしそれはともかくとして、個人では全く不可能と思われるフェルメールの絵画を巡る旅は、絵のある街の佇まいや歴史、美術館の雰囲気、絵画ある場所、などを十分に感じさせてくれます。画家への言及は少ないのですが、フェルメールの手から離れた絵画が300年という時間を経てたどっている数奇な運命も絵の魅力の一つでしょう。日本では少女(あるいは女性)の肖像が人気なのでしょうね。
本屋を徘徊していて目に留まったので購入しました。フェルメールの絵画を巡る紀行文で、ANAの機内誌「翼の王国」に掲載されたものを一冊の本にまとめたものです。個人企画(ではないしょう?)ではこれほどの取材は困難と思われ、各美術館学芸員と著者との対談を興味深く傍で聞いているような感じになります。絵が美術館へ来た由来や絵の修復への考え方、所蔵している絵への愛着が語られています。写真の質も高く、額縁つきで、掛けられている壁まで見えることで、まるで美術館でみているかのように工夫されています。なぜかディテールが曖昧な絵(の写真)があるのが不思議なのですが(ガラスのカバーがあるためでしょうか?)、「真珠の首飾り」「絵画芸術」「天文学者」などでは部分の拡大写真があり、うれしいことに油絵の質感までも感じとれます。街の佇まい、美術館の外観や建物内部の雰囲気までも美しく映し出されているのも楽しいものです。
本書には欠点もあります。時々、訪れた街に住んでいた科学者が登場します。紀行文ですから時代や分野は前後しても問題はなく、その街を訪れて一寸寄り道をするのもよいでしょう。しかし、科学とフェルメールとの関係を強調しすぎています。顕微鏡の父レーウェンフックのスケッチについても、当時のネーデルランド・デルフトには多数の職業画家がおり売れる絵画を量産しようとしていたでしょうから、スペキュレーションの域を出ない二人の関係の上に更に仮説を積み上げる手法は感心しません(ちなみに著者が主張する顕微鏡画の陰影がフェルメール的であるとするものは、なんの根拠もありません。シングルレンズの顕微鏡ではどのように見えるかわかりませんが、倍率を上げると非常に暗くなり薄い切片しか見れず、その上焦点深度が浅く視野も狭いとなると、陰影をつけて描くことは不可能でしょうね。それよりも当時(17世紀末からう18世紀初頭)光学で300倍近くの倍率を達成していたことは驚きです。現在でも300倍の倍率ではドイツ製の高性能顕微鏡でないと視野は暗いですね)。またコラムをまとめたものなので、重複が多く読み飛ばしたくなります。
しかしそれはともかくとして、個人では全く不可能と思われるフェルメールの絵画を巡る旅は、絵のある街の佇まいや歴史、美術館の雰囲気、絵画ある場所、などを十分に感じさせてくれます。画家への言及は少ないのですが、フェルメールの手から離れた絵画が300年という時間を経てたどっている数奇な運命も絵の魅力の一つでしょう。日本では少女(あるいは女性)の肖像が人気なのでしょうね。
名画の言い分 木村泰司 著 筑摩書房(2011)を読んで
名画の言い分 木村泰司 著 筑摩書房(2011)を読んで
古代ギリシャ・ローマ時代から19世紀末の後期印象派までの絵画を、歴史の流れを織り交ぜつつ解説しており面白く読めました。特にキリスト教美術とはほとんど無縁な日本人には、宗教画の意味は分からないものでしょう。中世の宗教画は金ピカの聖母(子)像、受胎告知、旧約聖書を題材としたものが多く、なぜ同じような構図の絵が多いのか不思議に思っていたのですが、聖なる人物を区別するために二次元の世界で表現するようになったためと、文字が読めない人々に分かるように形や色を決めていたため、とは知りませんでした。それと土着の「母なる大地」信仰をキリスト教布教のためにマリア信仰として利用した点や、マリア様の懐胎の純潔さを強調するために受胎告知の絵が描かれた、との記載も新鮮でした。またゴシック様式は、12世紀にサン・ドニ聖堂から、フランス統一を意識して作られた様式である、ということも驚きでした。
本書の特徴の一つは、ネーデルランド(オランダ)絵画が与えた重要性を紹介していることでしょうか(もっとも有名な画家ばかりですが)。15世紀〜17世紀のネーデルランドは商業、工業が栄え、上級市民社会からの絵画のニーズがあり、偶像崇拝が禁止されたプロテスタントであったことから、神の名のもとに様々な寓意をもたせた宗教画が出現し変容していったことが述べられています。15世紀のヤン・ファン・エイク、15世紀末のボス、16世紀のブリューゲル、17世紀のレンブラントと徐々に変化し、17世紀の風俗画の流行の中で庶民が笑った絵が登場(ハルス、『陽気な酒飲み』)。フェルメールによって日常生活の女性の一コマが描かれています。しかし現代では大人気のフェルメールの絵にも、宗教的な穏やかな生活、という隠された宗教的なテーマがあるとは、教えられないとわかりません。
肖像画の歴史も述べられています。キリスト教世界では、正面像はキリストしか許されていなかった、ということも知りませんでした。有名なイギリスのヘンリー8世が正面から堂々と描かれているのは例外で、彼がイギリス国教会を打ち立て神のような存在に位置したことを示すためのものである、と本書で教えられました。風景画も、キリスト教世界感からすると描かれる対象ではなかったのでしょうが、歴史的あるいは宗教的主題の中に風景が描かれ、少しずつその比率が逆転していく現象を本書では追っています。
本書は美術史を専門としていない人にとっては目から鱗のような内容がちりばめられており、誰でも興味を持って読み進められる内容です。本書にも欠点があります。文庫本であるが故に絵が小さく、細部が見えないことですが(2007年、集英社から出版されたものは、手にしていません)、しかし最近ではインタネットでパブリック・ドメインとなった複製画をみることができるので、参照するとこの欠点は補われます。
本書を読んでいると、実物をみたくなりますね。
古代ギリシャ・ローマ時代から19世紀末の後期印象派までの絵画を、歴史の流れを織り交ぜつつ解説しており面白く読めました。特にキリスト教美術とはほとんど無縁な日本人には、宗教画の意味は分からないものでしょう。中世の宗教画は金ピカの聖母(子)像、受胎告知、旧約聖書を題材としたものが多く、なぜ同じような構図の絵が多いのか不思議に思っていたのですが、聖なる人物を区別するために二次元の世界で表現するようになったためと、文字が読めない人々に分かるように形や色を決めていたため、とは知りませんでした。それと土着の「母なる大地」信仰をキリスト教布教のためにマリア信仰として利用した点や、マリア様の懐胎の純潔さを強調するために受胎告知の絵が描かれた、との記載も新鮮でした。またゴシック様式は、12世紀にサン・ドニ聖堂から、フランス統一を意識して作られた様式である、ということも驚きでした。
本書の特徴の一つは、ネーデルランド(オランダ)絵画が与えた重要性を紹介していることでしょうか(もっとも有名な画家ばかりですが)。15世紀〜17世紀のネーデルランドは商業、工業が栄え、上級市民社会からの絵画のニーズがあり、偶像崇拝が禁止されたプロテスタントであったことから、神の名のもとに様々な寓意をもたせた宗教画が出現し変容していったことが述べられています。15世紀のヤン・ファン・エイク、15世紀末のボス、16世紀のブリューゲル、17世紀のレンブラントと徐々に変化し、17世紀の風俗画の流行の中で庶民が笑った絵が登場(ハルス、『陽気な酒飲み』)。フェルメールによって日常生活の女性の一コマが描かれています。しかし現代では大人気のフェルメールの絵にも、宗教的な穏やかな生活、という隠された宗教的なテーマがあるとは、教えられないとわかりません。
肖像画の歴史も述べられています。キリスト教世界では、正面像はキリストしか許されていなかった、ということも知りませんでした。有名なイギリスのヘンリー8世が正面から堂々と描かれているのは例外で、彼がイギリス国教会を打ち立て神のような存在に位置したことを示すためのものである、と本書で教えられました。風景画も、キリスト教世界感からすると描かれる対象ではなかったのでしょうが、歴史的あるいは宗教的主題の中に風景が描かれ、少しずつその比率が逆転していく現象を本書では追っています。
本書は美術史を専門としていない人にとっては目から鱗のような内容がちりばめられており、誰でも興味を持って読み進められる内容です。本書にも欠点があります。文庫本であるが故に絵が小さく、細部が見えないことですが(2007年、集英社から出版されたものは、手にしていません)、しかし最近ではインタネットでパブリック・ドメインとなった複製画をみることができるので、参照するとこの欠点は補われます。
本書を読んでいると、実物をみたくなりますね。





